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パワフルに「人間磨き」 シニアモデル・滝沢恵美さん

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 「人生には、まだ輝ける場所がありますよ」。東京・恵比寿で、同年代の男性カメラマンからこう声をかけられたのをきっかけに、シニアモデルの道を歩む。

 約15年前のクリスマス直前のある日、恵比寿に高級クリスタルガラス・バカラのシャンデリアが展示されたと聞き、友人たちと食事がてら見に行った。散会後、立ち去りがたく1人で見とれていると、その男性にモデル事務所の連絡先を渡された。だが、当時はスキーに夢中で、冬はゲレンデを巡るのに忙しい。モデルなど無縁の話と思ったが、春になってふと思い出し、電話をかけたのは「せっかく声をかけてもらったし、後で『一度は行ったのよ』と言えるように」。誰にも相談せず、モデルの世界に飛び込んだ。

 旅番組出演やテレビCMなど、予想に反して仕事はすぐに舞い込んだ。仕事は、ほぼオーディションで決まる。数十人の候補者が居並ぶ中で、ポーズを決めたりセリフを言ったりすることもあるが、緊張することはない。「その仕事と自分のイメージが合うかどうか。違和感がある時は落ちる」とクールだ。

 一方で、「勝ち取りたい」と強く願った仕事もある。その一つが、初めての大きな仕事となった防水仕様の補聴器のCMだった。撮影は8時間に及び、プールで何度も泳ぐことになったが、大勢のスタッフに囲まれた現場で充実感があった。テレビ放映を見た孫が「おばあちゃんだ」と気づき、娘一家がモデルの仕事を知るきっかけとなった。

 別の仕事では深夜に帰宅後、翌日の撮影のためにダンスの振り付けを覚えたこともある。「『できない』なんて言うべきでない」。常に全力投球で臨むハードな日々だが、仕事中は不思議と疲れを感じない。

 横浜市で8人兄弟の2番目として生まれた。幼児だった戦時中の記憶も鮮明だ。「決断が早く、いったん決めたら揺るがない意志の強さは、戦争体験から身についたのかもしれない」と振り返る。

 大学に進むつもりだったが、父が病気になり急きょ、就職。職場で夫(81)と出会って結婚した。高度経済成長期に盛んに建設された東京都内のマンモス団地で新婚生活をスタート。自宅でもできて需要が高かった和文タイプを習得し、家計を支えた。再び外に出て働き始めたのは、次女が中学生のとき。「親に頼るくせをつけてはいけない。自立させよう」と考え、大手百貨店のパート販売員に応募した。約10倍の難関と聞き、あきらめ半分で応募理由に「自分名義のベンツがほしいから」と書いたところ採用。そのまま55歳まで勤めることになった。

 外見からは想像できないほど「体育会系」で、夫婦の共通の趣味はテニス。今も「ふわっとしたボールをのんびり打ち合うのは好きじゃないの」と、対戦相手には男性を選ぶ。50代で出合ったスキーは、回転競技のレースに出場したこともある本格派で、60歳を前に2級を取るほど上達した。その後、「遠くに行かずに自分だけで楽しめるものをやりたい。ダンスをしている人は、いくつになっても歩き方、立ち姿がきれいだから」と、社交ダンスを始めた。

 週に1度はさいたま市のダンススタジオへ通い、ヒールの高いシューズを履いてレッスンを受ける。ワルツ、タンゴ、そしてジルバ。スカートを翻し、76歳の年齢を感じさせない身のこなしでターンを決める。練習相手となるダンス講師も「体幹がしっかりしているからきれいに踊れる」と太鼓判を押す。この特技も仕事の役に立ち、2015年には「ダンスが踊れるかわいいおばあさん」役として、歌手・平井堅さんのミュージックビデオに出演した。

 家でゆっくりする時間はほとんどないが、「外に出て人と会えば刺激を受ける。つらくても『この山を越えたら自分のものになる』と思えば頑張れる。すべてが人間磨き。そんな気がするの」。仕事の合間に全国の神社仏閣を夫婦で訪ね歩くのが、最近の楽しみだ。【岡礼子、写真・根岸基弘】


 ■人物略歴

たきざわ・えみ

 本名・滝沢恵美子(たきざわ・えみこ)。1941年、横浜市生まれ。東京都立高校卒。電機メーカーに就職した後、63年に結婚し退職、2女を育てる。2003年からシニアモデルとして、雑誌やCMなどで活躍中。最近の仕事にカタログ「ハルメク 健康と暮らし」、テレビCM「雪印北海道100さけるチーズ」など。

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