Home モデル 川合玉堂の「鵜飼」小瀬の風景がモデル スケッチ検証で断定 – 岐阜新聞

川合玉堂の「鵜飼」小瀬の風景がモデル スケッチ検証で断定 – 岐阜新聞

6 second read
0
33

 岐阜県にゆかりのある近代日本画の巨匠・川合玉堂(1873~1957年)が1931年秋に発表した代表作「鵜飼」(東京芸大所蔵)は、巨岩の配置などから、関市池尻の長良川右岸から見た風景をモデルに小瀬鵜飼を描いたものであることが分かった。市の調査で、玉堂が同年夏に同所で描いたスケッチが見つかり、判明した。玉堂は同作以降に鵜飼をテーマにした作品を多く残しており、調査を行った専門家は「ダイナミックなこの景色に出合ったことで、複数のイメージが出来上がったのではないか」と分析している。

 玉堂は、愛知県一宮市に生まれ、岐阜市で少年期を過ごした。玉堂について研究し、市と共に今回の調査を行った山種美術館(東京都)特任研究員の三戸信恵さんによると、鵜飼を描いた作品は現在確認できるだけでも90作余あるという。

 31年の作品は、黒々とした中央の巨岩の両側に鵜飼船が浮かび、波立つ水面などが臨場感豊かに描かれている。その荒々しい景観から、岐阜市の長良川鵜飼ではなく、上流域の小瀬をモデルに描いたのだろうとは考えられてきたが、三戸さんは「それが空想の風景ではなく、具体的にこの場所の、この角度からの眺めだと断定できた」と今回の調査を意義づける。

 調査では、玉堂美術館(東京都)が保管していた「昭和6(1931)年8月3日 長良川小瀬」と記されたスケッチブックを検証した。ごつごつとした巨岩を中心とした風景の写生が複数残されており、岩の配置や川の様子などから、いずれも長良川が大きく屈曲する関市下有知の左岸にある巨岩周辺の景観であると断定。右岸の池尻側から描かれた1枚が、31年の作品のモデルとなったと結論づけた。

 以降の鵜飼作品の多くには、黒々とした巨岩が象徴的に描かれており、残された左岸からのスケッチは39年の「鵜飼」の構図になったとみられることも分かった。現場を訪れた三戸さんは「玉堂が、岩をいろいろな方向から眺めながら構図のバリエーションを思案している様子が目に浮かんだ。ダイナミックな風景がイメージをかき立て、この日の記憶が多くの作品につながったのだろう」と話す。

 さらに、調査によって、59年の伊勢湾台風で川の流れが変わる前は、巨岩をはさんで両側に流路があったことも判明。作品では巨岩の奥にも鵜飼船が描かれていることも同所をモデルにしたことを裏付けている。市文化財保護センターによると、現在の小瀬鵜飼でも巨岩周辺を鵜飼船が通ることはあるという。調査の詳細は市が発行する「長良川の鵜飼 関市小瀬鵜飼習俗調査報告書Ⅲ」にまとめられている。


Let’s block ads! (Why?)


Source link

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Check Also

「YouTubeはなぜへずまりゅう対策をしないの?」の誤解。もうユーチューバーとは呼べない状態(篠原修司) – Yahoo!ニュース – Yahoo!ニュース

 迷惑行為を行っていることで知られる「へずまりゅう」として活動する男性が、渋谷のスクランブル交差点で布団を敷い … …